明治維新のあと 新潟県・新潟市は、ここから始まる!
明治元年 西園寺公望 越後府知事となる
西園寺は、王政復古に尽くした功により、明治元(1868)年10月越後府知事に任命されます。
20歳だった西園寺には勉学の志が強く、翌年、職を辞し、海外留学(フランス)に行った!
『国立公文書館』より
西園寺公望1(849-1940)について:3歳で公卿の名家西園寺家の養子となり、22歳のときフランスへ留学、ソルボンヌ大学などで、自由主義、を学び、10年後に帰国、東洋自由新聞社を設立、自由民権運動を推進した。再度西欧へ渡航したのち、ドイツ、オーストリアの公使を経て、文部大臣などを務めた後、政友会総裁として2度にわたりに総理大臣となる。第1次世界大戦のパリ講和会議に日本の首席全権大使の大任を果たした。
西園寺は、王政復古に尽くした功により、明治元(1868)年10月越後府知事に任命されます。
20歳だった西園寺には勉学の志が強く、翌年、職を辞し、海外留学(フランス)に行った!
『国立公文書館』より
西園寺公望1(849-1940)について:3歳で公卿の名家西園寺家の養子となり、22歳のときフランスへ留学、ソルボンヌ大学などで、自由主義、を学び、10年後に帰国、東洋自由新聞社を設立、自由民権運動を推進した。再度西欧へ渡航したのち、ドイツ、オーストリアの公使を経て、文部大臣などを務めた後、政友会総裁として2度にわたりに総理大臣となる。第1次世界大戦のパリ講和会議に日本の首席全権大使の大任を果たした。
by sakaituu
| 2011-12-31 20:39
| 新潟の事